Are you feelin’ good tonight?

 今宵は誠心院に夜通し語り明す事にして來たので、質素にして來た供の者も歸し、ひつそりとした小御堂の中に殊勝に尼君がお上げになつてゐる法華經に耳を傾けつつ、赤染衞門はさながら夢のやうに思つた。和泉式部の華やかであつた時には理解のある赤染衞門自身すらも、淫蕩の女と蔑すんだ此の人の過去の姿を思ひ、現在かうして物寂びた御堂の中に心から誦經してゐる尼君となつた和泉式部を思ひ、人の一生の限り無く擴げられてゆく未來への道を尊く思はせられてゐた。さう云ふ赤染衞門はもう盛りの過ぎた老婦人で、和やかな額の上に分けた髮にも幾筋となく白髮が目に立つてゐた。
 誦經がすんだ處で、靜かに座を離れた尼君は赤染衞門に近くにぢりよつて
「本當に夢のやうな心地が致します。山近きこの里に、此の頃明け暮れ聞くものは、鹿の聲ばかり、それにも馴れて、日が昇れば晝と思ひ、月が澄めば夜と思うて、つい月日さへ數へることもなくて、明し暮す事でございますが、かうして御目に掛りますと、何にか一つの頼り處を得たやうな、さすがに生ける身の喜びを感ずる私でございます。」
 和泉式部は心からの喜びを述べるやうに云つた。

 私は昨年の秋にはじめて日光に遊んで、あの有名な華嚴の瀧の壯嚴な水を見ることが出來ました。この感動は一寸筆に表現出來ません。華嚴瀧の名は華嚴經からとつて名づけたものでせうけれど、その深い意味は私には解りません。たゞその字によつて見れば、華やかにして、しかも「嚴」きびしさ、いかめしさ、を持つ文字です。この名が如向にこの瀧に對して適當であるかといふ事を、私は感にたへて眺め入つた事でした。日光にはもつと華嚴より大きな瀧があるかもしれません。然し華嚴の瀧ほど華やかにして威嚴のある瀧は外にはありません。那智の瀧の話はよく人々から聞かされます。一度見たいと思ひますが那智を知らない私は、今のところ華嚴の瀧が最も神品であらうと思はれてゐます。

 すると大正十四年八月アララギの安居會(雜誌アララギにて十年以上毎夏催す歌の精進勉強會)その年は高野山において開かれ、それに出席された齋藤茂吉氏がその時高野山で聞いた佛法僧の事を、昭和三年一月四日と五日の時事新報の文藝欄に載せてゐる。それを讀んでゆくと佛法僧の鳴き聲が寫してある。
「それから小一時間も過ぎてまた小用を足しに來た。小用を足し乍ら聽くともなし聽くと、向つて右手の山奧に當つて、實に幽かな物聲がする。私は、「はてな」と思つた。聲は cha-cha といふやうに、二聲詰つて聞えるかと思ふと、cha-cha-cha と三聲のこともある。それが、遙かで幽かであるけれども、聽いてゐるうちにだん/\近寄るやうにも思へる。」
 然し私はこの cha-cha がどうしても腑に落ちないのである。一つ/\音についていつてみるけれど、それがどういふ樣に鳴くのか皆目解らない。ただ茂吉氏の聲を寫してゆくくだりは夢然よりもづつと具象的現實的で
「どうも澄んで明らかである。私は心中ひそかに少し美し過ぎるやうに思つて聽いてゐたが、その時すでに心中に疑惑が根ざしてゐた。」